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第10回 赤ちゃんと子どもの死を考えるセミナー2012 vol8
「誓い」
私たちは現在介護の仕事に携わっています。崇仁が亡くなる2週間程前に訪問介護の事業所を立ち上げたばかりでした。それまで介護職につくなど考えたことはなかったのですが、崇仁がお世話になっていたヘルパーさんの仕事ぶりにふれる機会があり、介護の仕事!と頭に浮かんだのです。それから、すぐに基本資格を取得し、更に専門資格取得のため、平日はヘルパーとして働き、土日祝日は福祉学校に通いながら.頑張ってきました。妻にも育児の合間を見ながらヘルパーとして働いてもらい、ようやく開設できた、そんな時にこの世を去ってしまったのです。
わたしは、なにかあると、いつも、このように自分に問いかけるようにしています。
「この出来事は、私に何を気づかせようとしているのか」
「この出来事は、私になにを伝えようとしているのか」
崇仁との人生を振り返ると、崇仁がここまで、導いてくれたのではないかと思えてなりません。
「僕は頑張ったで! 後は、家族みんなで、協力して道を切り開いてや!応援しているよ!」と語りかけてくれているように感じるのです。
今まで、たくさんの人との出逢いがあり、崇仁だけでなく、私たち家族にも、よりそってくれました。
吉村先生から次のように言われたことがあります。
「この世で最も辛いことは、孤立することである」
「孤立は死を意味する」
「孤独はだれにでもあるが、孤立はしてはいけない」と。
出産前後、妻の気持ちに寄り添い続けてくれたある看護師さん。退院後も孤立しないように、気に掛けてくださり、励まし続けてくれた、看護スタッフの皆さん、最も大変であった退院後を、孤立することなく乗り越えることができたのは、そんなみなさんのおかげです。
そして、崇仁と妻と一緒に、楽しみながら歩んでくださいました、音楽療法の先生 大手前整肢学園、光陽養護学校の先生方、現在も、私を導いてくださっている吉村先生、勇気を出してこの世に素晴らしい著書を出してくれた飯田史彦さん 人生にいろどりをそえてくれた、お友達家族 いつも支えてくれた両親、たくさんの方々が私たち家族に寄り添い続けてくれました。決して考えを押しつけることなく、一緒に楽しみながら、ゆっくりと歩んでくれました。
辛い状態から、一歩踏み出すことによって、幸せに近づいていけるものだと思います。
私たちが、辛いと感じている状況から、一歩踏み出し続けることができたのは、その時その時に、よりそってくれる人たちがいたからではないかと思えるのです。
生きる気力を失っている時、そばでよりそってくれる人がいるだけで、どれだけ救われたことか、言葉では言い尽せません。
今まで、たくさんの方々が、私たちによりそってくれたように、今度は、私たち自身が、よりそって応援していけるような存在になっていきたいとそう思っています。
「ここまでのまとめ」
1,「避けられない運命には従う」
2,「人生思い通りにならないのではなく、思い通りにしかならない」
崇仁と歩んだ人生を振り返って、二つの思いが軸となって、ここまでこれたのかなと思います。
ひとつは、避けられない運命には従うこと。
たかひとのありのままを受け入れたからこそ、スタートラインが決まり一歩を踏み出し始めることができました。
自分の力ではどうしようもないことに悩むのではなく、自分ができることを探していこうと目を向けられるようになりました。
すべての始まりはこの決断から始まったのだと思います。
もうひとつは、人生思い通りにならないのではなく、思い通りにしかならないということ。
妻は、崇仁にたくさんの友達を作ってあげたい、そして、たくさんの経験をさせてあげたい。そう願い、その場が楽しくなるよう、努力してきたからこそ、あれだけたくさんの人が葬儀に参列し、そして涙してくれたのではないかと思います。
私は、崇仁を幸せにするために自分も幸せになる。このように、努力してきたからこそ、私は幸せだったし、楽しかったと感じることができていると思います。
崇仁に直接確認することはできませんが、6歳の頃から、笑顔をみせてくれるようになり、親ばかですが、それが答えなのかな~と思っています。
実際の答え合わせは、わたしが、向こうの世界に行くときの楽しみに取っておきたいと思います。
これらの二つの考えは、矛盾のようにも思えますが、矛盾の中に真実はあると思っています。この両方の判断やバランスをとっていくことが人生を生きていく上で大切なのではないかと、崇仁との人生を振り返ることにより、気づくことができました。
「最後に」
崇仁がほんのわずかの期間しか生きられなかったとしても、私は、崇仁の生まれてきてくれた価値を見いだしたいと思っていました。例え、すぐにこの世を去っても、その死と向き合い、崇仁の分も含めて、一所懸命生きて、人生を楽しみ、今まで以上に成長できたなら、この子の生まれてきてくれた意味や価値が見いだせるのではないかと考えていたからです。
実際には9年半の人生を歩んでくれ、楽しかった思い出をたくさん残していってくれました。この手で抱くことはできなくなりましたが、わたしの心の中では今も存在し続けています。
以上です。ご静聴ありがとうございました。
これまでの長文を読んで頂き、誠にありがとうございました。
崇仁のこと、そして私の思い、生き方、人生観、価値観を このようにホームページで公開することは 私にとって大きな決断でした。
しかし、拙い文であっても 何か伝わるかもしれない。 何か感じて頂けるかもしれない。そんな思いで公開させて頂きました。これまでの私の経験、気づきが 皆さまのお役に立てれば幸いです。
村上委佐哲